日々の泡…
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その一巡の後。
2008年 09月 05日 (金) 21:01 | 編集
いやー長かった長かった!
私の潜伏期間とやらと名づけてやろうかなこの約1年とちかく??

どうでもいいようなことを
あーどうでもいいけどーって思いながら
それを言ってげらげらするのって
まぁ、それってだからなんなのん?ってわけではあるけど
そんなこんなのがあった今日の1日、それから
そんなこんなのの今日の前の1日…っと
結局のとこそれでしかないでしょーーーーーー!っと
今はまた思っております。ハイ。
というよりかむしろ
それを言い得る感情が!というとこか!?

理屈じゃないのよー
理由なんてないのよーの世界のすばらしいことといったら!!
これはこうやからあーこうしないとなの??(トホホ)とか
気は向いてないけどなんかなぜにかそんな風向き??(トホホ)とか。

とかとか!

仮にそんなあれやこれやと円満◎としているとしても
その方法が例えば(全部飲み込んでしまえー)やら何やら
たくさん持っているのが「うまくできる」と言うのだとしても私はそうできる気がしないしそうできないし、
もしかすると、
そもそもそうする気もなかったのかもしれないし??

いろいろな理由、
こうこうこうしてた方がさ~っていうのは
なんでどこにでもいっぱいなんやろうな。

でも、なんかきぶんがよーしてなってるときは
そんなんもべつに!くらいになるっていうこのふしぎ!!
優先順位なんて、そんなん。
迷う間もなく「こっちーーーー!」とぴかーーーんときているそれって健全な思考の証拠だったりすんのかなぁー

坂道の自転車の写真を朝のいちばんに見てなんぼ!くらいの
はぁー…(どよーん)っていう、あのきぶん。
よーしもうちょっと!ってするのが
なんかあほらしーく感じてしまう、あのきぶん。

「切り替えるちから」
でもそんなことは言えなくて、
「切り替わる何か」
「しぜんにそっちへ向かう」

何がどこでどうって言えないけど
強いて言うならば「圧倒的な!」というとこだろかー

人にも物にも時間にも
やっぱりいつでもどきどきしてたいなー

そりゃあできるならば
いつでもきげんよくいたいしなー

6月の後半から流れるようにして9月。

その1日のじかんは変わらずとも
今思うのはなんでかいいことばっかりだー
明日を想って眠る時間を過ぎてもなお。
2008年 07月 02日 (水) 02:08 | 編集
そういえば梅雨の明ける頃を想って読むべく『N.P.』を
今年も読み過ごしてしまったことに気付く7月。
なんだかんだで
なんとかなんなく漂っている気配のする7月。
素朴な疑問はもはや「感じ」でしかないのかも?
うん、そんな気がとってもするんだよなぁーと
思っている7月。

そういえばっていう風に思い出しながら
やっぱり夏の始まるこの時期って
なんだかきもちが!
この太陽のギラギラしてるのにとっても影響されて
すごくきもちがいいのです。

「こんな晴れた日に~」と続いていく名言を
あぁ!それ名言!って言ってたいなずっと。
そして、「うーんでも…」なんていうことを言って
気付いたら秋!なんていうことのないようにと!!

休みの度に晴れで
思うままに時間もたっぷりとあって
暑さと日陰ときもちいいくらいに吹いてくる風と
あと、虫にもさされすぎることがなくて
すぐ忘れてしまいそうなくらいのたわいのないことに
けらけらげらげらとしながら…



考えている今日も
実際に過ごすであろう時間も
そこにいる人たちも
もう数えられるくらいなのかもなーっと
最近そんな風に思ったりもして、
でもそう思うことで
なーんか別に。いい意味で「別にね」っと。
それは「楽しかったらいいやーん」と
いうことなのかもしれないけど
でもどうせやったら楽しい時間の思い出
(思い出?…その響きはでかすぎるかー)
というかそういう時間の方がいいよなーと思っていて。

そして偽らずに。
無理はせずに。

そのことと「嫌を嫌」ということは必ずしも反しないだろう。
「素直とわがままは…」も
おんなじくらい名言だとはもちろん私も思うけど。笑

共感する考えとか
うんうんうん。ってうれしくなる話とか
へーっと思える人の言うことばだとか
とっても気になる食べ物とか場所とか
要はそれって自分自身の「快」でしかないんだろうけど
それって裏切らんよなーはずれへんよなーっと思っていて。

しかし第一印象もなんだかんだで変わっていって、
けれどそれも流れていく中のひとつでしかないんだろうなー

「流れる」ということが気になる。
「流れの中」といった方がいいのか。

あんまり変わってはない気もしながら、
「ちからを抜く」ということの威力だって確かに。
説得力とやら
2008年 06月 04日 (水) 01:18 | 編集
あーやっぱり
「ふむふむふむ。へぇ~」っとするのが
私は大のしゅみらしく。

ふと思うことと考えることと、
それからそれらを
心に留めておくこと、
それを、ほんとーうに
じぶんの心で思うこと。

なんのこっちゃな、となりそうやけど
最近私は何を思ったっけなぁーそれを心の底から!と
振り返ってみたら
それは一体いつのことなのやら~と
なってしまいそうな私です。

誰かと話をする、
その中で深まっていくいろいろなことの存在。

全部覆ってしまうくらいの大きなことが
あったその後に見える新しいことを見たいな。

自分の頭の中を巡ることの全部を
やーっぱすきでいたいよなぁーと
私は思うのです。

うれしいことを思い返し続けるのも
もちろんたのしいししあわせやけど、
昨日より今日…って
深まっていく何かしらの「確信」みたいなもの、
もはや「直感de勝負」しかし「それこそが事実!」っと
言ってのける根拠、のようなもののある人って
やっぱおもしろいな。

自分の身の回りのあれやこれやを冷静に分析することで
見える何かを思ってます。
プライスレス!
2008年 04月 04日 (金) 22:25 | 編集
春も気付けばもう4月!

なんにも変わらないのにあの人にばいばい
この子にまたねーとしていると
なんだかほんとーうに流れるように過ぎ去る日々。

いやはやしかし。

思い返してももうないんだなぁーという時間。
その数々。

過ぎた時間だけを食べていけたら
どんなにしあわせだろーなんて。
そんなことを言うつもりもないけどさ、
でもさ、
なんだかなんにも
どこにも留まってはいれないんやなぁとかとか。

大きなもののひとつの終わり。

それが何の始まりかなんて分からないけど。

だけどそれは同時にプライスレス◎
またの名を「いとしいのろい」という。
うまくやるのがなんぼのもんだ!
2008年 02月 05日 (火) 22:51 | 編集
興味がないことに興味がある風を装ってみたり、
まぁもしかするとそれは
「人間関係うまくいくぜ」の法則なのかもしれないけど
でもさーそれって…なんか違うんでないかい?と
やっぱり私は思わずにいれないのです!

じぶん2分の1の母親に、「あんた…」と心配されるのは
結局のところ何者でもない私ゆえなのでしょうか。

うーむそんな気もしなくもないけど。

安心の根拠と心配の理由。
でもそんなこと言ってもそのどっちもが
アタマの中でしかないのだし。

面倒くさいと思う私もあーおもしろい!と思う私も
私なのになぁー

それもこれも
「大人になれよ」の前にはひとたまりもない現実。

うーーーーんなんだか。

なんだかなんだか。

まぁいっかーと思うこと、時間、その空気、
その大きさが、あ、もしかして通じないのかもーと思い。

大事なことってなんなんだろー

私は、話したいことしか話せないよーと思うのです。
そして
すべてすべてすべての人たちを
あーすきだーとは
思えないと思うのです。

私はそういうのが
人に対してむしろ「取るべき態度」だと思っていて。

ぶしつけOK!といっているのではなく。
そうではなく、
「さらりうまくやることに何の意味があるの?」という
単なるこれは疑問です。

自分から出る会話の始まりは
きもちが伴っていないといやだーと思うのは
考えすぎなのでしょうか。
そしてその逆を考えてみた場合に、
「だったら喋らなくていいやん」と思ってしまうのは
それはそのまんま
「人のココロ踏みにじるの感情」なのでしょうか。

説明することの骨折れ度合いを思うたんびに
「あーもう分かる人たちにだけでいいや~」と思い…

「そんな自分がなんぼのもんだ!」の
声に対するは何が一番か。

なんてなんてことを思うならば
すかっと好きな音楽を聴いて好きな映画を想って
うれしい空想に耽るが一番なのだと思う。

今日の1日は何のための1日なんだろ。

それに対するは私「今日の私のための1日」と
言ってしまいたいんだなー
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